横井 一
昭和53年 三重大学卒
日本外科学会 外科専門医/指導医
日本消化器外科学会 専門医/指導医
消化器がん外科治療認定医
日本消化器病学会 専門医/指導医
日本肝臓学会 専門医/指導医
日本肝胆膵外科学会 肝胆膵外科名誉指導医
日本東洋医学会 漢方専門医
メッセージ
人は、癌が治らない、と言われたら、何を思い、何処でどのような姿で過ごしたいと思われるでしょうか?
ここでは、緩和ケアと緩和ケア病棟についての歴史を含めて、少しばかりその内容を記載します。
日本では1970年代に、癌が治らないと判断された時の関わりについて考える研究会が発足しました。その研究会は、日本死の臨床研究会という名称で、その目的は、『死の臨床において、患者やその家族に対する真の援助の道を全人的立場により研究していく事』と記載されています。
“全人的立場”というのは、医学の視点からだけではなく、看護学、社会福祉学、宗教学などの視点を加えて死の床に居る病人に対しての援助を考えていこう、という意味があったようです。
そして、1981年に日本で初めてのホスピス病棟が開設され、現在に至っています。 緩和ケア病棟は、癌の治療が望めないと判断された人が休息をする為の場所として設立されてきました。
人は自分自身の身体が思い通りに動かせなくなった時に初めて、当たり前の日常生活の有り難さがわかるそうです。そのような状況になった人からの話によると、そんな時に孤独感を味わう事になるそうです。
ある癌患者さんが話してくれました。
“緩和ケア病棟には、自分の身体を動かせなくなった人の気持ちのわかる人に勤務していて欲しいと思います”、という話です。
このような病人が話してくれた事を、緩和ケア病棟勤務の職員が記憶して、その記憶が今後のケアに生かされる事が、望ましい死の臨床の場、死のケアにつながるのではないでしょうか?
緩和ケアにおいては、『死の床に居る病人に対して全人的立場から真の援助の道を研究していく』姿勢が求められます。
当緩和ケア病棟では、東北大学、種智院大学、愛知学院大学において臨床宗教師研修を修了した僧侶や牧師などもボランティアとして活動しています。 癌が治らないと言われた時に、何を思い、寿命まで、何処でどのように時間を過ごすのか?
緩和ケア病棟を利用する人の傍に居て、一緒に考えませんか?
交通のご案内
三交バス
市内線(小野行、中央病院行)
市民病院前下車
JR・近鉄松阪駅より徒歩約15分
「鈴の音バス」市民病院下車